支援物資として預かったテントを積んで山元町へ行ってきました。
避難所の周囲を少し案内してもらいました。
一見すると広大な田畑だったかのように錯覚します。
まばらになった松の木以外に立っているものがありません。
中まで行くと、電柱が折りたたまれたように破壊されていて
家の基礎の一部だけが残った所に「捜索済」の旗が立っていました。
「大きな建物の影になったんだよ。」
でも自然の気まぐれにしか思えません。大きな建物がよく分からないんです。
10軒だか20軒だか、家の残った区域がありました。
そこを見て初めて住宅密集地であった事が分かりました。
でも、残った家にも松の木が3本刺さっていたり、ぐすぐすの状態でした。
山元町は住宅地の津波被害では宮城で最もひどく、町民のおよそ6割が家を失ったそうです。
テント8ハリ、避難所になっている坂元中学校の体育館へ届けてきました。
現在300人近くの方がここで生活しています。
常にプライバシーがないというのは相当のストレスなのでしょう。
ダンボールでわずかばかりの目隠しを作っていました。
喜んでもらえたようです。
「案外、男性陣の方が利用するかもね」と、係りの人が笑ってくれました。
もう一箇所、坂下1小の体育館にも寄らせてもらいました。
そこには160人余りの方がいたのですが、
更衣室があるからテントはなくても大丈夫とのことでした。
ちょうど夕飯の時間で、案内してくれた人が
「炊き出しは足りていますか?」
と聞くと、充分だ、という返事でしたが
見ればご飯と少量の豚汁のようなもの。それだけ。
豚肉が入っていたかは定かじゃありません。
「たとえ一時のお腹が満たされても、心は満たされないよなぁ」
「玉こんにゃくとか唐揚げとか大判焼とか、子供にはわた飴とか・・・」
「明日の活力になるようなものがさぁ・・・」
案内してくれた彼が嘆いていました。
どちらの避難所も150~200食もあれば充分なぐらいだそうです。
石巻ではチラホラ聞くのですが、県南にも回ってきてくれないものでしょうか。
何かツテのある方、炊き出し関係者にお伝えください。
山元町の食事は寂し過ぎるということを。
帰り道、雨が雪になりました。
「今日は寒いね。」「最初の頃のようだね。」
避難所での会話が少し気になります。
寒いところありがとうございました。
坂元中の入り口にあるのが,母の実家の畑です。
先日,母の実家からその畑でとれた「つぼみな」をもらってきて食べました。「取れたてはおいしいね」と春を感じながら食べました。
実家のおじは,下半分が水に浸かった畑に行って留守でした。
「そんな畑でも行かないと落ち着かないいんだよ」と年を取ってちょっとぼけてきたおばがぽつりと呟いていました。
>大河原のインド人さん
本当に恐ろしく、悔しい景色でした。
この悔しさをぶつける先がないせいで
悔しさが倍増しました。
今は妙にさみしい気分です。雨のせいにしておきます。
当事者の想いは私には量りかねます。
私の友人は山元はみんな避難所出て、情報少なくなっちゃった。
自宅待機組には5/1にまた荷物行くんだけど。
ついでに避難所に入れてもらうか、
どこかで無料バザーやれるところないかな?
子供中古衣料と、新品夏物女性〜女の子衣料中心。
男性シャツなんかもあるけど。
こどものノートとかペン、絵本なんかもあるかな。
GWには炊き出しなんかも入ると思うから、
お菓子とか配りたいなぁ。とか思うんだけど。
って…電話しろってか(笑)
>ゆうこ嬢さん
山元は個人の物資、断ってますよね。
昨日の彼にも聞いてみましょうかね。
明日、うちに仙台-山下あたりを往復しているという方が来てくれます。ちょっと聞いておきます。
山下の役場が大きな避難所になっているそうで、テントもどうかなと思ってます。
おう!頼んだよ☆彡
GWか案外みんな地元(県外)に帰るから
動けない場合があるけど、私は空いてますな。
まあ、県内出身者にヘルプかけるよ☆彡