初めての災害ボランティア

昨晩友人と、このモヤモヤをどうしよう、と話していて
今日、日帰りしか出来ないけれど、とにかく何か手伝いに行ってみよう
という事になり、友人の友人がボランティアで入っているという石巻へ向かった。
朝6時半に出て、石巻到着が9時。
そこで連絡をとって聞いてみると、女川の方が人手が足りないと。
で、女川まで瓦礫で狭くなった道を行き到着が10時。
女川第二小学校が災害対策本部になっていて、飛び込みで「ボランティアやらせてください」
と言うと、登録をしてすぐに町立病院へ行くよう指示を受けた。
こういった統制の取れたシステムが出来上がっていることに感謝。
病院は遠くから見たときに、「あの高台にあるのは大丈夫だったんだろうね」って言っていた建物で
実際に行くと敷地内にはつぶれた車が寄せてあるという有様。

およそ5階建ビルぐらいの位置にあるその病院の一階部分が津波の被害を受けていて
それでも2階以上では病院として動いていて、
見たことはないけど、戦場の診療所を思わせた。
僕らの作業は備品の使える物と使えない物の仕分けと移動。
病院ならではの、大きく重たい様々な機械類やひん曲がった巨大な鉄製の扉などが廃棄対象で
どこの誰とも知らぬ数人のボランティアと一緒に黙々と作業を続けた。
一度、ボランティアさん!と呼ばれて行くと、車椅子のおじいさんを4階から一階へ降ろす仕事だった。
一人、お医者さんと思われる方が、グチャグチャになったカルテや資料を集めていて
およそ声をかけられる雰囲気ではなかった。
16時、今日のところはココまでと解散となった。
高台から見た女川港はそれこそ言葉にならない。
ビルの上に他の家が乗っていたり
車が突き刺さっていたり
ビルが基礎ごと倒れていたり
木造の建造物はちらばった爪楊枝のように見えたりした。

向かいにあった老人ホームはほとんど手付かずのまま。
人手はまだまだ足りていないし
これからもやることは山ほどあった。
帰り道、角を曲がると・・・軽自動車では通れそうもなかった。

3時頃が満潮だったのだろうか、港はすっかり冠水していた。
女川から石巻への幹線道路もところどころ水没していて
地盤が下がった事がよく分かる。

本当に自分勝手な事だとは分かってはいるが
たった一日、ほんの少しの手伝いをしただけで
モヤモヤした気分は解消し、
彼らがボランティアに感謝している以上に充足感を覚え
たった一つの病院の備品の一部を少し移動しただけで
宮城県民としてのある一定の責務を果たしたようなつもりになっている。
見ると聞くでは、やるとやらないでは大違いで
復興までどれほど大変なのかがよく分かった。
1年2年なんてスケールではない。
警察、電気工事、ボランティア、その他、本当に全国の車のナンバーが走っている。
今現在の最低限の物資は自衛隊と米軍が運んでくれている。
人手が増えてくれることを願う。
僕は明日から自分の仕事、震災ギターを綺麗にし、ギター製作をする。
その傍らでまた微力ながら支援ができたら、と思う。