父は頑張っている。

父は7月末に体調不良で近所の総合病院へ行ったら即ERで入院した。退院したところに我々がちょうど訪れて8月に会った。うちらが帰ってすぐ東京の病院へ行き、かかりつけの腎臓の先生に診てもらったら、「なんともない、大丈夫」と言われたという。母が状況を説明し食い下がったところ「じゃあ一応消化器内科に回そう」となって行ってみれば即入院。「もう腎臓の方は行かなくていい」と言われたとか。どれだけ腎臓の医者がヤブか分かるエピソードだ。

終末期をみてくれる比較的近い病院へ父が入院した。この週末に、娘の学習発表会が終わった後で、家族で会いに行ってきた。1週間前は何とか散歩ができたのに体を起こすのも辛そうに車いすで移動、さらに痩せて黄疸がはっきりして白目まで黄色くなってしまった。長女はショックを受けていたようだ。去年一緒に2日間ディズニーランドを歩き回っていたんだから、信じられないのは無理もない。俺もだから。

トイレに立つのも辛くて、ベッドから起きるのがやっとなんだと。「嫌なのが一人いる。看護師。尿瓶使えって言うんだよ。しつこく。嫌だよ。」って困った顔をした。

早期退職から再就職までの間にお坊さんの勉強をしていた。あと1週間、京都での勉強だか修行だかをすれば僧侶になれたらしいけれど、しなかった。寺に生まれ習わぬうちからそこそこ経を理解していた父は、葬儀には坊さん呼ばなくてもいいと言った。自分でお経読むのかと問えば、うまくないよ、もう声でないって。

先週の散歩でも着ていたお気に入りの山用のチェックのシャツも、靴も杖も毎日聴いていた携帯ラジオももういらないと言ったらしい。

医者が言うには、この状態と数値から見るに驚くほどの強靭さを見せているのだとか。父は頑張っている。しかし展開が速すぎる。

父に会いに

11月の連休で実家に帰ろうと予定していたのだが、その頃には自信がないからと急遽招集がかかった。父が弱気になっている。
3ヵ月前まで何事もなく普通に過ごしていたのだけれど、7月末に体調不良で受診してから検査入院が続いて、その後自宅療養となった。肝硬変、そして食道静脈瘤、肝癌。手の施しようがないと。この1か月で17-8kg体重が落ちたらしい。ここ最近は食欲もなくすぐ疲れてしまうのだとか。声を出すのも辛そうだった。ずっと腎臓の不調で通院していたのに、医者は何をやっていたんだという憤りももう過去の話になってしまったみたいだ。

一緒に近所を散歩し、昔どこに行ったといった思い出話をしてきた。筑波山、男体山、室堂、尾瀬、一ノ倉沢、ニューヨーク、ベルギー、フランス、トルコ etc.
早朝の窓からの景色を見るとグラナダを思い出さないかって俺は行っていないよ。
今思えば山でも海外でも父と一緒だと安心感があったなと思う。

50年以上前に父のために祖母が仕立てた着物が当時の行李に入れられ大切に保管されていてそれを受け継いだ。俺の小学生の頃のサッカークラブのユニフォームや小学生で作った靴入れ、刺しゅう入りの枕カバーやエプロンなんかも綺麗に保管されていて、勝手に捨てられないからと渡された。実家に置きっぱなしの俺のガラクタはそのうち持ち帰ってこないといけないんだな。今となってはちょっと貴重な物もあるかもしれない。綺麗なままのテレホンカードとか、未使用のドラクエのノートとか、皿の間からユーロ以前のベルギーの紙幣が出てきたり、理学部の駐車場のパスカードが出てきてあぁこんなとこにって驚いた。
サッカーのユニフォーム、今7か月の息子が着れるようになったら着せて見てもらおう。

頼りのお店が・・・

ブリッジ再接着。ブリッジのサイズに塗装をはがす。

ギター作る人にとって非常に大切な海外サイトのおそらくツートップの一角が廃業するみたい。売却とか合併とかじゃなく廃業なのかしらん。最近不穏なメールが続いているなと思ったら、「我々は永久にドアを閉める」「夕日に向かって船出する」って。勘弁してよぉ。ブリッジ材やナットサドル材、ベンディング用品はここから買っていたんだが。あわててベンディングのブランケットとちょっと木材注文したらカミさんからお金借りることになってヤバい。しかし、欧米人っていうのは洒落た言い回しをするんだな。

思い出の中

週末友人が遊びに来た。夜空の写真を撮ったりして遊んだんだけれど、撮影後にカメラが作ってくれる動画以外、元データが全て吹っ飛んでいた。いいさ、お試しで撮っただけだ。俺の思い出に刻んでおいたよ。メモリーカードかな?初期化するよね。PCモニタ全画面表示で4K再生するといい気分。

翌日は産業まつりに娘が地域の伝統芸能で参加。お父ちゃんはこの馬などの荷物運びと子守り。

その時気づかなかった。レンズを望遠から標準に戻したら、星空撮影用のソフトフィルター付けっ放しだったようだ。どこか思い出の中のようなほわっと感。

さて、今日は塗装作業と修理の仕上げ。ガンは超久しぶりに分解掃除した。ネックリフィニッシュの仕上げ作業をと思っていたんだけど、今更気づいた。裏板ヒビ入っているしエンドブロックがはがれている。見逃せないなぁ。

パールホワイトトップ

パールホワイトのリベンジ。まぁやっぱりちょっとね、ほこりやゴミが付いたりするんですわ。白ってのはそれが見えてしまう。よく見ると見えたり、修正痕があったりするかもだけれど、1m離れたら目立たないかな、くらいにはなったと思うので次に進むことにする。

おのれのメモが悪い

いつものように午後に放課後学習室行ったら先生から今日はお休みですよと言われてそそくさ帰ってきた。
ブリッジを削っての弦高調整。

ブリッジはがれの修理はまず全部はがすところから。過去一番きれいにはがれた。しかも簡単に。

自然の家イベント蔵王の秋

この週末は娘の希望で蔵王自然の家のイベント「満喫!蔵王の秋」に長女と二人で参加した。土曜日は晴れと土砂降りの繰り返しでとても寒い日だった。はじめましての家族と芋煮会。かまど係のジャンケンに負けて飯ごうでご飯炊く係になって上手に炊けるかドキドキ。

どれもとってもおいしかった。標高500m未満の自然の家でこんなに寒かったら明日の山歩きはヤバいかもしれない、とお風呂の後に防寒着の追加装備を取りに戻った。三脚出すの面倒で撮ったのでちょっとブレてる。

日曜日はいい天気。何より風がないのがありがたい。有料のハイラインを利用しない駐車場からのスタートだったのでお釜まで少し登る。小2にはそれがややキツかった模様。お釜の緑、濃く見える。

スペシャリストと共に歩くのは初めて。色々教えてもらった。名前までは覚えていないけれど・・・。湿布のにおいの花と一応食べられる実。

帰りは急に雲の中。ずっとホバリングしているヘリの音、座り込んだ夫婦、担架を担いだ救助隊とすれ違った。

最後に山の危なさも垣間見られたいい体験だった。
驚いたのは14ー15年前に地域コーディネーターとしてⅠ先生と働いていた事を覚えていた人に声をかけられたこと。その方が現在自然の家に勤務しているとか。見た目と名前でもしかしたらって、どんな記憶力してるんだろう。

修理の順番前後します

少し急ぎめの修理が入った。ロッド調整してって来たんだけれど、そういう問題じゃなかった。すぐその場で直ると思ったんだろう。まずは裏力木接着から。ケースから出した時にギターが濡れていたんで結露かなぁ。ふだん温度差の大きな所にあるのかなぁ。

秋、霜柱

日中はもっときれいな二重の虹が出ていたそうな。なんで二本の虹の色が反対になるのと娘に聞かれて答えられなかった。2回(?)屈折するからとかじゃないかな、ってよくわからんす。

カミさんが宮城人なら一度は食べておきたいと買ってきた仙台銘菓「霜ばしら」。一ついただいた。なんと繊細なくちどけ、上品さよ。芸術品だったわ。

塗装はがしが終わった。もっと上手にやったら下地塗装をはがさずにできたのだろうか。まぁどっちみちサンディングシーラー吹くんで大差ないかな。

トップの凹んだ傷を隠すためにピックガードを貼る。マーチンタイプに切り出した。

やり直しの準備

ブズーキのナット交換とカラーはがし。長野でもブズーキの話題になった。流行ってるのかな。

作る貼るとかは好きだけど剥がす元に戻すってのはやっぱり好きにはなれないのぉ。