そとまわり

マスターがギターを弾くそうで、紹介してもらえるというので
ギター1本持って仙台のカフェに行ってきました。
「坐カフェ」青葉区大町1丁目3-7
ガラス張りのモダンなお店で野菜もコーヒー豆も有機栽培だそうです。
コーヒーは酸味のあまりない、やさしい感じ。
音楽のイベントもしばしば行われているそうです。
マスターがどうにも忙しそうだったので、
そのままギターを預けてきました。
argo#015
ざんざん試奏に使っていたら、いつの間にかの傷が増えていて
誰かに売るにしても値引きは避けられないでしょう。
まぁ、そういうわけで、次に僕がそのカフェに行くまで、かな?
仙台のアーケードからすぐ近くのカフェにtupliが置いてありますので
試奏したい方は是非。
一番町藤崎から250mぐらい西です。
その後、作並と秋保の間あたり、国道457線沿いにあるお店へ。
お店の名前は忘れてしまいました。
何屋さんなのかも良く分からない、カフェのような料理屋のような、
山の中のログハウスです。
音楽好きが集まるとかで。
まぁ、遠いです。
ちょっと浮世離れした不思議なところでした。
そこでケーナを作っている方に会いました。

五右衛門

家の裏に置いてあった、というか捨てられていた
むか~しむかしの風呂釜。
これが風呂釜だと気づいたのは割と最近だったりするのだけれど
コイツをご近所が持っていって処分してくれるらしい。
どうせ一人では運べないのでどうぞお願いしますと言った。
鉄製品は売れば幾ばくかのお金になるらしい。
どこも似たようなもんで決して豊かではないなぁ・・・。

コケコッコー

電気もテレビもPCもコタツもつけたまま居間で寝てしまう
で、深夜に起きて、布団に移動する。
昔から珍しいことじゃないけど、このところ連日である。
今夜はちょっと目がさえてしまった。
今の季節は蛙も虫も鳴かないし、この辺り車も通らないので、
PCのファンの音しか聞こえない。
PCを消せば、かすかに風でゆれる木の音ぐらいである。
とお~くの方でこんな時間にコッココーと鳴いた。
コココー(ここに来い)という博多弁ではないと思う。
ちなみにキキキー(聞きにおいで)という言葉もある。
トットット(とっている)は有名である。
博多弁の話はもうケッコウですか。

いつになったら

何年やってると思ってるんだ。
いつになったらミスがなくなるのでしょう。
フレットを打っていて、トップにコツンとやっちまいました。
塗装もまだ薄いし、柔らかい杉材です。
ベッコリ打痕がつきました。
幸い木の繊維が切れるような傷ではなかったので
塗装をはがしてへこんだ部分を膨らませて、完全回復。
木って縮んだり膨らんだりするんですよ。
でも、これでまた、塗装に時間がかかってしまいます。

ひとりぽっちで仕事をしていると、ミスの後はその日一日そのミスを引きずってしまいます。
だからさっさと仕事を切り上げて風呂にでも入ろうと思います。

昔は良かった?

おそらく押入れに長年眠っていたであろうギターの修理。
弦高が5mmぐらいあるから、とにかく弾ける状態にします。
ブリッジを削りますが、きっと最初から弦高は高めだったと思われます。
過去にも何度か見たことあるけど、ブリッジのボトム側の方が分厚いって
どういう理由でこうなっているんだろう?

他にもこれまで古いギターには色々な驚きがありましたね。
フォークのブリッジプレートが杉材だったり
ブリッジピンホールのテーパーがすごくつきすぎていたり
ロッドのナット部分が指板の下(にあるらしい)だったり・・・。
シビアな時代になりました。

足りてるー?

TVで失業者への民間セーフティネット施設が取り上げられていて
1日の食費1500円が支給されていると報じていた。
月間45000円。
そんなに食費に使った事ないぞ。
食費は1万円におさえたい。
だめだよ、もらった1500円全部使っちゃ。
本格的なガラムマサラをいただいたので、
本格的にカレールーを使わないでカレーを作る事に挑戦してみた。

ニンニク、ショウガ、唐辛子、クミン、クミンシード、ターメリック、フェンネル、
コリアンダー、クローブ、山椒、コショウ、ローレル、オレガノ、バジル。
小麦粉はあえて使わない。
ガラムマサラは確実にシナモンが入った香り。よかった、持ってなかった。

香りはいいけど、味が薄い。
香辛料が足りないのか、コンソメをもう1カケ入れるべきだったのか・・・。
明日はルーを足します。

ネズミどもに告ぐ

先週末に台所に仕掛けたネズミ捕りトリモチシート。
今朝、一匹かかって死んでいた。
ガンバは何故死んだ!
体力なのかストレスなのか、一晩もたずにお亡くなりになるようだ。
ちょっと可哀相な死に様だった。
出てこなければやられずに済んだものを。
レミーのレストランとやらはもう見られないかもしれない。
天井裏では、大きそうなタンタンタンという足音がしたかと思えば
チーチーとネズミが鳴いた。
弱肉強食の惨劇が行われているのかもしれない。
ネズミどもに告ぐ!!
君達はそれなりに包囲されている!
ただちに降伏しこの家から立ち去りなさい!
さもないと!    さもないと!
さもないと・・・なんだ?
あ、さもないと、殺鼠剤を食べさせるぞ。
むざむざとやられはせん。

FAXのために

日中、電気屋さんにカタログ集めに行ってきた。
悩むぅ。
電話機を友人に安く売って、FAX付き電話機を買うか
電話を生かしてプリンターを廃棄し、FAX付き複合プリンターにするか・・・。
前者なら電話機の条件によりサンヨーで決まり。
後者だとキャノン、エプソン、ブラザーと選択肢が増える。
ただ、後者だとFAXのためにプリンターを常時通電させなけりゃいけないんでしょ?
それってどうなの?
確かにプリンターはかなり型遅れになっちゃいるけどさ。
新しくしたらインク代は高くなるかもしれないなぁ。
とてつもないカラスの大群を見た。

┐(‘~`;)┌

深夜、一冊の本を読み始めた。
なんだかもったいなくて少しずつ読み進めようと思う。
読み始めたばかりでその本について感想を述べるのはいささか危ういので控えるが
「言葉」について語られていた所で、先日ちょっと触れた流行的言葉(「かわいい」「癒し」「ほっこり」)
と同時に思い出した、最近感じている事をココに忘却防止のため残しておく。
ちなみに読み始めた本とは
『若き友人たちへ - 筑紫哲也ラスト・メッセージ』(集英社新書)

予算が削られ、子供も減って、年々おんぼろになっていく学校図書。
そんな図書室の整備に町のボランティアさんが動き始めてくれていて
そこに毎週のように立ち合わせてもらっている。
とある中学校で教頭先生が話していた。
「今の子供は、活字だけの本を読んで、一枚の絵を描きなさいと言っても、
『見てないから描けません』というんですよ。想像力がなくなっちゃって・・・」
活字離れは今に始まったことではなくて、僕だって決して本を読む方ではないのだけれど
それでも近年の流行には苛立つ事も多い。
顕著な例がメールの絵文字である。
「絵文字が無いと感情が伝わらない」という意見を耳にする。
「絵文字が無いから冷たい人だ」と称される。
文章力・読解力・想像力は深刻な事態だ。
例えば、とても悲しい深刻な状況のメールに「泣き顔」の絵文字が付いてくる。
ふざけているのか、あるいは、悲しさをオチャラケでごまかしているのか
それとも、これが現代の「正しい」感情表現なのか・・・。
私には伝わらない。ついて行けない。
言葉・言語は思考そのものだと思う。
絵文字に頼った表現では未来は危うい。

ギター工房tupli でのギター製作と日常を綴ります。