まるで南国

窓を開けたときに入る風は期待したものとまるで違った。完全に夏だった。痛み止めなしでは過ごせない。ロキソニン(ロキソプロフェン)は6時間開ければいいらしい。でも胃が荒れるから胃を守る薬がないなら食後に飲みたい。私の場合痛み止め能力は8時間ほど持つ。朝8時、朝食後に薬を飲むと、夕方仕事を切り上げようとしたあたりから辛くなりはじめ、結局保育所へ迎えに行く頃に空腹で薬を飲むというパターンができつつある。無理せずゆっくり仕事をした。2本の指板のフレット溝が切れた。

通常、快気祝いというのはお見舞い返しに病気をした人が送るものだと認識していたのだが。だから私が用意しなけりゃならないもののはずなのに。出張中の義兄から高級すぎるフルーツをいただいてしまった。40年生きてきて初めて食すというのにうちの娘ときたら1年そこそこでこんな美味いもん食べおって!おかわりーじゃない!

病院と免許更新

手術痕が赤くはれて痛いので市販のロキソプロフェン飲んで麻痺させて病院へ。油断して仕事してたら痛くなっちゃいましたって言ったら、いやいや来るかなーとは思ってた、と想定済みだったようで、傷口にウミが溜まったのが原因で、どうしていたかは関係なく術後このぐらいの時期によくある事だとか。針で刺して悪いものを出しただけで、抗生剤も痛み止めも無し。あっさりしたもんだね。傷口開いちゃったのかと心配したけどそうじゃなかった。

午後はちょっと痛む腹を抱えて免許の更新に行ってきた。見えた限りでは古い免許をもらっているの俺だけだった。初めての免許からずらっと並べると結構面白いんだけどな。

明日からは指板作り。

 

デザインってなんだろう

バインディングの余分を削り落とす作業。両手でスクレイパーを使いたいから、立って作業台と体とでボディを挟むように押さえて作業をするわけだけど、腹の痛くないところを探してやる必要がある。ちょっと頑張りすぎたかなぁ。傷跡がひりひりする。

今日は芸術系の大学でデザインを学ぶ学生がうちの取材に来てくれた。授業で働く人の写真を撮るという課題が出ているのだとか。数ある仕事の中から小さなギター工房を選択してくれたことに感謝すると同時にちょっと不思議に感じていたらご自身ギターを弾くとな。納得。しかもニコンD7000使いという共通点も。そりゃ俺の単焦点も貸すよね。うちの工房に若い女性が来るなんてきわめて稀な事なのでちょっと身構えたけれどいいもんだ。レポートでいい評価が得られますように。

夜はざおうみらいデザイン会議。中学校統合に関して検討してきた結果、我々として教育委員会にどんな申し入れが必要で且つできるのか、わいわいがやがやと、何か見えてきた。教育だけでなく町の未来、町づくりのデザインをどう描くかが問われる問題なんだなぁと。子どもの人口減少のため学校を統合して教育を充実させようとした結果、町の総人口が減っちゃったなんてならないように考えることはとても大事で結構切迫した問題だということ。そのために何ができそうか。などなど。遠刈田の慢瑤茶さんが取りまとめてくれる。町内に配布(もしかしたら県内にもお知らせ)出来たら、みんなも考えるうえで参考になるはず。

バインディングとピン位置変更

まだバインディングやってる。

修理のギターも。ネックがついているのでちょっとやりづらい。

こちらは一足お先に紐から解放。

謎多きこのダヴはサドルの溝もガタガタで幅がそろっていなかったので溝の修正も行うことにした。サドルの位置もあんまり1弦寄りじゃカッコ付かないしね、6弦側にちょっと伸ばして。位置合わせの時にビットを一本折ってしまった。2.5mmのスパイラルビット、これで過去3度目、お安くないのにね~しくったね~。

ブリッジピンを開けなおしたらこんな仕上がり。うっすらと以前のピン痕が見えるのでどれだけずらしたか分かるでしょう。

弦の並びが指板の中心をとらえて一件落着。

他にもギブソンのナット交換2つ。ギブソンってこんなにナットをガチガチに接着してるんだっけ?星の方はノミで叩き割るしかなかったよ。(写真は交換後。)

タイヤ値上げだってよ

昨日は病院。血液検査と執刀医の診察の結果、盲腸に関しては順調に付き完了。しかし、腸炎に関して新たに内科の先生を紹介されて通院が決定。病院とはまだ付き合いが続きそうだ。

午後までたっぷりかかって解放された後はカー用品屋さんへ。やっぱりかなりすり減ってスリップサインから1mmあるかないかぐらいなうえに、6月1日からタイヤが8%値上がりするという話を聞いて思い切って新しくすることにした。軽トラのタイヤは安い部類なので思い切りやすい。これで梅雨の雨も夏の遠出も安心だ。冬タイヤもそろそろなんだよなぁ・・・。そうだ、キャリーの処分いい加減考えなきゃ。

今日の作業もメインはバインディング接着。

変わった修理が一つ。指板に対して弦が1弦側に寄り過ぎているのを何とかしてほしいという依頼。おそらくネックリセットが行われていて、その時にボディに対してネックをまっすぐに直したのが原因と思われる。ブリッジの位置が右にずれている。ブリッジの位置を直すのが正しい修理かもしれないけれど、そうすると3mmほどずらす必要があって塗装的にも美しくないので、悩んだ末にブリッジはそのままでピンの位置をずらすことにした。何しろブリッジ広いし。まずはブリッジピンの穴を埋める。貝の入っていないピンがあれば良かったんだけど。

塗料屋感謝祭@夢メッセみやぎ

今日は招待いただいていた塗料屋さんイベントへ家族で遊びに行ってきた。初めての夢メッセ。なんでこんなに混んでいるんだ?!そんなはずはない!と思ったら、同時に他のイベントも行われているのね。会場はCブース。追加であわてて用意された名札は「NANU」。

無料のごはん、たくさんの子どもの遊びスペース、妻がすごく喜んでいた。メンチカツなんてスゲーおいしかったし。子も大興奮で恐竜にまたがり滑り台を往復していた。

白い箱にマスキングテープ貼り放題ってのもなかなか面白い企画だった。センスが問われる。俺より娘の方がとらわれていなくて白い空間も残していいものになったような気がするわぁ。

アネスト岩田でスプレーガンの話を聞いてカタログをもらい、日立工機でインパクトドライバについて教えてもらい、結局リョービのブースでインパクトドライバを買ってしまった。自分の名前のサインをするだけ。後日塗料屋さんのいつもの営業マンが届けてくれるんだって。ネットで買うのとどっちがっていうと微妙かもしれないけれど。そんなに色々買うものはないし、どうしたって板金屋さんとかがメインターゲットで、タイムセールでシンナーの一斗缶を何缶セットとかもいらないんだけど、結構楽しかった。

ついでというか、初めから寄るつもりで来たんだけど、アウトレットで買い物していたらあっという間に夜になってしまった。モンベルの子供用リュックは大人が買いたくなっちゃったけど我慢。フードコートのごはんがことごとく味が濃すぎてげんなりしたものの、色々と充実の一日だった。

 

 

 

運動会かじりた~い

最高の天気。暑すぎるくらい。娘の耳鼻科へ行ってから小学校の運動会へ。保育園児・未就学児の徒競走が10時10分からで去年も飛び入りした種目。小学校に10時5分に到着して間に合ったかと思ったのだけれど、今終わったところだと。間に合わなかった。なんとプログラムが巻いていた。地区のテントでジュースを一本もらって、お隣さんご夫婦の二人三脚の大活躍を観戦して帰ってきた。何の種目にも参加してないのに、炎天下にいただけで疲れちゃったね。

入院以降、動きの緩慢な私はかなり戦力外、家事のほとんどを妻がやってくれていて、ありがたいなぁ~、いやぁ~こりゃ楽だなぁ~。このままはそう長く続かないんだろうけどさ。

 

三者三様のバインディング

手術の傷の痛みは一日ごとに劇的に良くなっていく。もう笑うくらいなんともない。瞬発力が必要なものはまだちょっと怖い。しかし、俺のへそはこれを機にデベソになるのかなぁ・・・。

力の使い方を慎重にやれば、ちょっと腹に力の入る作業だってこの通り。バインディングの接着をゆっくりとスタートした。

修理もコツコツ進めなきゃ。バインディング剥がれの修理を。古くなると縮むんだよね。

 

55-95

2週間ぶりに蔵王のうちへ行ったらどこもかしこも雑草でぼうぼうだった。今草刈り機を使う自信はない。夏野菜の種を植えたポットはたぶんやりなおしだ。うちの前で何かぬるっと踏んだと思ったら、2kgの米袋ぐらいの黒いコールタールみたいなものが通路の真ん中に落ちていて、まだ白いアディダスのスニーカーが右も左も酷く黒く汚れた。朝から不愉快でげんなりだ。

パーフリングの埋め込みをしている途中だったんだな。裏をはがした修理ギター、今日はこれのパーフリングを接着した。座ってやる作業でも結構腹筋に力が入っていたりするもんだ。今日一日でもなんだかひどく疲れた。入院中、過去最低の血圧でほぼ安定していたのだが、低すぎるのも考えものなんじゃないかなぁ。

入院の記録

今日(5/17水)の夕方退院してきました。まだ運動や湯船や刺激物も禁止されて、普通の速度で歩くだけで息切れしたり、ちょっとリハビリ期間が必要ですが、ゆっくりと仕事にも復帰したいと思います。ご心配いただいた方々、どうもありがとうございました。

ここから先は個人的な備忘録的日記なのでよほど暇な人だけでいい。読まなくたっていい。

最初におなかに違和感を覚えたのは5月1日。へその上、みぞおち辺りにうっすら鈍痛がして5月2日、胃薬を飲んだ。

連休、新潟の妻の実家に帰っていたのだが、連休が明けて8日、まだおなかに鈍痛があったので村田の診療所を受診した。お腹の検査があるだろうと前夜は19時ごろ軽めに食べて朝食は抜いた。(何しろ5日のブログに書いているがその時点で慢性虫垂炎を疑っている。痛い場所が下腹部へ移動していた。)診察結果もやっぱり虫垂炎が疑われると。しかし、エコーで見ても良く見えないと言われた。中核病院に紹介状書いたからと封筒を渡されたのが午前11時。連休明けの中核病院、混むだろうなぁと思って

「これって今日行った方がいいんですか?」と聞いたら、呆れたような怒ったような口調で、

「今すぐ!うちにも寄らないで!」と。

紹介状があったからか、そもそも思ったほど混んでおらず診察はすぐに行われて、それから検査。採血して点滴を打たれ、その点滴をガラガラ引っ張りながら胸部、腹部のX線、心電図、造影剤を使ったCT撮影。それらの後の診断で唐突に聞かれたのが

「一番痛かったの、いつ?」

「3日、いや、4日の午前ですかねぇ・・・。」

3日はバーベキューして酒飲んで、その後家に帰って妻子が寝た後に洗濯2セット、ブログ書いて写真整理して友人に送って、翌朝のごはんの準備をしている時は眠かったし辛かった。空けて4日の午前中は痛いというよりとてもだるくて寝て過ごしていた。まぁ胃炎であれだけ飲んで食ったら良くないよなぁと思っていた。昼過ぎにはずいぶん楽になっていたので新潟へ向けて出発した。

「4日ね。きっとその時だね。(CTの画像を見ながら)今見てるのはね、急性虫垂炎のなれのはて。この辺りが虫垂なんだけど、良く見えないね、周囲にウミがたくさん溜まってる。おそらくもう破裂してるから、で破裂してずいぶん経ってるから・・・(以下略)」

なんと!すでに破裂している?!昔から盲腸破裂して放置したら死ぬって聞いていたので驚いた。いわゆる盲腸って激烈に痛いって聞いていたからそんな激しいヤツじゃないって思っていた。

「入院でいいかな?」

「え?それって今からですよね?そろそろ保育園に娘迎えに行かなきゃいけないんですけど、明日からとか」

(食い気味に)「なんとかなんないの?外科としてはね、今すぐ入院することを強く、強く勧める。」

と、またちょっと怒られて、妻に連絡して入院が決定した。通された部屋は救急病棟の4人部屋。心電計がつながれたのにも驚いた。先生が「うるさいところでごめんね」と言っていたのだがその意味はよく分からなかった。向かいのおっちゃんが、ちょっと体を動かすのにも「おいしょ」と言って、ベッドから降りるだけで「おいしょ、おいしょおいしょおいしょおいしょ・・・」と30回ぐらいおいしょするのはうるさいというよりエンターテインメントだった。

もう破裂しているので抗生物質の点滴で様子を見ようという方針だった。が、それまで37度台だった熱がその夜39度を超えた。

高熱が出たことで、のんびり薬で散らすのも消耗するとなり、先生は「私はね、この際さっぱり切るのが6割、かな~」と。散らしたとしても3か月後に切除することが多いとの話もあり、じゃぁ切っちゃってくださいとお願いして緊急オペとなった。腹腔鏡手術で行うので5mm程度の傷が2カ所(下腹と左下腹)とカメラの入るへその下を2cmほど切るだけで手術時間は一応2時間見ておいてもらえば、というのがAプランだった。自分で手術台に上り、「はい、麻酔が入るので眠くなりますよ」と言われて2秒ほどで頭がふわ~っと暖かくなって「ほんとだ」と言った所までで、目を覚ましたら病室だった。

術後の朦朧とした意識の中で聞いたのは、結構大変な手術だったようでへそは視界確保のため5cm切った。手術は3時間以上かかった。虫垂がすでに硬くなり始めていて簡単には取れなかった。俺の親指ほどもある切除した虫垂を妻が見せてもらった。局部的な腹膜炎を発症していた。主治医の先生が出てきた時、汗をぬぐい「大変だった」と言いながら非常に満足そうだった。なんて話を聞いた。

翌朝。両ふくらはぎを揉むような機械が取り付けられて、鼻に酸素の管がつながり右腕は点滴、左手人差し指は酸素計、胸に心電計、右下腹にはドレーンの管が刺さっていて、カテーテルがつながれていることさえ気づかなかったし、ちょっと姿勢を変えようと思っても腹筋は全く働かずちょっとよじれると激痛が走る。動かなくても脂汗が出る。じっとしていると背中と腰が痛い。病院の低反発のベッドマットは私の腰には非常につらい。特に中央がすり鉢状にへこんでいたりするとひどい。八方ふさがりで目を覚まして、朝の回診でとある先生が「歩けそうかい?」と聞いてきたのには「何言ってんだ?この人」と思った。主治医の先生はニヤニヤしながら「なかなか立派な」と俺の膝をたたいたのがおかしくて笑ったら、看護師さんに「すごく苦しそうですよ」と言われた。歩けなくても足を動かしてよ、足に血栓ができてそれが飛んだらおしまいだから、と脅された。

お昼前にはカテーテルが抜かれ、トイレは車いすで行きましょうと。ベッドに体を起こすのも大変なのに、ベッドがある程度電動で起きるとはいえ。それが腹切って15~16時間後の話。その日のうちに一般病棟へ引越し、看護師さんの密度が減って術後20時間で一人でトイレに歩いていかなければならなくなった。何しろトイレへ行こうと思い立ってから時間がかかるから目が覚めたらトイレ準備だ。ただ、こちらのベッドのへこみ具合はずっとマシだった。

月曜の朝から何も食べずに火曜日午後に手術をして、金曜日の昼、ついにジュースが解禁になって食事の時間に初めて運ばれてきたのがコレ。看護師さんみんなが苦笑いしながら、冷やしてこようか?と聞いてくる。確かに、決して味わって飲んではいけない。

日曜日、最初の検査からずっと続いていた点滴がついに外された。ごはんは腸術後食全粥。右下腹のドレーンの管がつながったまま、1週間ぶりのシャワーを浴びた。シャワー室は、この広さあったら住めるんじゃないかってくらい広かった。そのせいで寒かった。

月曜日、ドレーンが抜かれた。途端に身軽になり痛み止め無しで過ごせるようになった。

火曜日、別件で便に血が混じることがある件について、痔の可能性もあるものの念のためとS字結腸手前までの大腸カメラ検査をした。こんなに苦しいものだとは思わなかった。空気を入れられるのが痛いしガスを出したいのに出ない辛さ、看護師さんに「目を開けていてください。白目むいてて怖くなる」と言われる。直腸にちょっとした炎症があるとか。その結果は後日外来で。この際だから盲腸が完治したら全体の大腸カメラやりましょう、なんて言われ今から戦々恐々としている。

最後まで読んでくれた人、どうもありがとう。