入院の記録

今日(5/17水)の夕方退院してきました。まだ運動や湯船や刺激物も禁止されて、普通の速度で歩くだけで息切れしたり、ちょっとリハビリ期間が必要ですが、ゆっくりと仕事にも復帰したいと思います。ご心配いただいた方々、どうもありがとうございました。

ここから先は個人的な備忘録的日記なのでよほど暇な人だけでいい。読まなくたっていい。

最初におなかに違和感を覚えたのは5月1日。へその上、みぞおち辺りにうっすら鈍痛がして5月2日、胃薬を飲んだ。

連休、新潟の妻の実家に帰っていたのだが、連休が明けて8日、まだおなかに鈍痛があったので村田の診療所を受診した。お腹の検査があるだろうと前夜は19時ごろ軽めに食べて朝食は抜いた。(何しろ5日のブログに書いているがその時点で慢性虫垂炎を疑っている。痛い場所が下腹部へ移動していた。)診察結果もやっぱり虫垂炎が疑われると。しかし、エコーで見ても良く見えないと言われた。中核病院に紹介状書いたからと封筒を渡されたのが午前11時。連休明けの中核病院、混むだろうなぁと思って

「これって今日行った方がいいんですか?」と聞いたら、呆れたような怒ったような口調で、

「今すぐ!うちにも寄らないで!」と。

紹介状があったからか、そもそも思ったほど混んでおらず診察はすぐに行われて、それから検査。採血して点滴を打たれ、その点滴をガラガラ引っ張りながら胸部、腹部のX線、心電図、造影剤を使ったCT撮影。それらの後の診断で唐突に聞かれたのが

「一番痛かったの、いつ?」

「3日、いや、4日の午前ですかねぇ・・・。」

3日はバーベキューして酒飲んで、その後家に帰って妻子が寝た後に洗濯2セット、ブログ書いて写真整理して友人に送って、翌朝のごはんの準備をしている時は眠かったし辛かった。空けて4日の午前中は痛いというよりとてもだるくて寝て過ごしていた。まぁ胃炎であれだけ飲んで食ったら良くないよなぁと思っていた。昼過ぎにはずいぶん楽になっていたので新潟へ向けて出発した。

「4日ね。きっとその時だね。(CTの画像を見ながら)今見てるのはね、急性虫垂炎のなれのはて。この辺りが虫垂なんだけど、良く見えないね、周囲にウミがたくさん溜まってる。おそらくもう破裂してるから、で破裂してずいぶん経ってるから・・・(以下略)」

なんと!すでに破裂している?!昔から盲腸破裂して放置したら死ぬって聞いていたので驚いた。いわゆる盲腸って激烈に痛いって聞いていたからそんな激しいヤツじゃないって思っていた。

「入院でいいかな?」

「え?それって今からですよね?そろそろ保育園に娘迎えに行かなきゃいけないんですけど、明日からとか」

(食い気味に)「なんとかなんないの?外科としてはね、今すぐ入院することを強く、強く勧める。」

と、またちょっと怒られて、妻に連絡して入院が決定した。通された部屋は救急病棟の4人部屋。心電計がつながれたのにも驚いた。先生が「うるさいところでごめんね」と言っていたのだがその意味はよく分からなかった。向かいのおっちゃんが、ちょっと体を動かすのにも「おいしょ」と言って、ベッドから降りるだけで「おいしょ、おいしょおいしょおいしょおいしょ・・・」と30回ぐらいおいしょするのはうるさいというよりエンターテインメントだった。

もう破裂しているので抗生物質の点滴で様子を見ようという方針だった。が、それまで37度台だった熱がその夜39度を超えた。

高熱が出たことで、のんびり薬で散らすのも消耗するとなり、先生は「私はね、この際さっぱり切るのが6割、かな~」と。散らしたとしても3か月後に切除することが多いとの話もあり、じゃぁ切っちゃってくださいとお願いして緊急オペとなった。腹腔鏡手術で行うので5mm程度の傷が2カ所(下腹と左下腹)とカメラの入るへその下を2cmほど切るだけで手術時間は一応2時間見ておいてもらえば、というのがAプランだった。自分で手術台に上り、「はい、麻酔が入るので眠くなりますよ」と言われて2秒ほどで頭がふわ~っと暖かくなって「ほんとだ」と言った所までで、目を覚ましたら病室だった。

術後の朦朧とした意識の中で聞いたのは、結構大変な手術だったようでへそは視界確保のため5cm切った。手術は3時間以上かかった。虫垂がすでに硬くなり始めていて簡単には取れなかった。俺の親指ほどもある切除した虫垂を妻が見せてもらった。局部的な腹膜炎を発症していた。主治医の先生が出てきた時、汗をぬぐい「大変だった」と言いながら非常に満足そうだった。なんて話を聞いた。

翌朝。両ふくらはぎを揉むような機械が取り付けられて、鼻に酸素の管がつながり右腕は点滴、左手人差し指は酸素計、胸に心電計、右下腹にはドレーンの管が刺さっていて、カテーテルがつながれていることさえ気づかなかったし、ちょっと姿勢を変えようと思っても腹筋は全く働かずちょっとよじれると激痛が走る。動かなくても脂汗が出る。じっとしていると背中と腰が痛い。病院の低反発のベッドマットは私の腰には非常につらい。特に中央がすり鉢状にへこんでいたりするとひどい。八方ふさがりで目を覚まして、朝の回診でとある先生が「歩けそうかい?」と聞いてきたのには「何言ってんだ?この人」と思った。主治医の先生はニヤニヤしながら「なかなか立派な」と俺の膝をたたいたのがおかしくて笑ったら、看護師さんに「すごく苦しそうですよ」と言われた。歩けなくても足を動かしてよ、足に血栓ができてそれが飛んだらおしまいだから、と脅された。

お昼前にはカテーテルが抜かれ、トイレは車いすで行きましょうと。ベッドに体を起こすのも大変なのに、ベッドがある程度電動で起きるとはいえ。それが腹切って15~16時間後の話。その日のうちに一般病棟へ引越し、看護師さんの密度が減って術後20時間で一人でトイレに歩いていかなければならなくなった。何しろトイレへ行こうと思い立ってから時間がかかるから目が覚めたらトイレ準備だ。ただ、こちらのベッドのへこみ具合はずっとマシだった。

月曜の朝から何も食べずに火曜日午後に手術をして、金曜日の昼、ついにジュースが解禁になって食事の時間に初めて運ばれてきたのがコレ。看護師さんみんなが苦笑いしながら、冷やしてこようか?と聞いてくる。確かに、決して味わって飲んではいけない。

日曜日、最初の検査からずっと続いていた点滴がついに外された。ごはんは腸術後食全粥。右下腹のドレーンの管がつながったまま、1週間ぶりのシャワーを浴びた。シャワー室は、この広さあったら住めるんじゃないかってくらい広かった。そのせいで寒かった。

月曜日、ドレーンが抜かれた。途端に身軽になり痛み止め無しで過ごせるようになった。

火曜日、別件で便に血が混じることがある件について、痔の可能性もあるものの念のためとS字結腸手前までの大腸カメラ検査をした。こんなに苦しいものだとは思わなかった。空気を入れられるのが痛いしガスを出したいのに出ない辛さ、看護師さんに「目を開けていてください。白目むいてて怖くなる」と言われる。直腸にちょっとした炎症があるとか。その結果は後日外来で。この際だから盲腸が完治したら全体の大腸カメラやりましょう、なんて言われ今から戦々恐々としている。

最後まで読んでくれた人、どうもありがとう。

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